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家いちば見聞録

里山に囲まれた小さな盆地と清流の街“小川町”が教えてくれること

埼玉県小川町|かつての「小京都」がベッドタウンから次に選ぶ道 関越自動車道は、週末になると渋滞が避けられない。特に渋滞しやすいのが、下りは深谷市の花園インター付近と、上りは埼玉県東松山市の高坂サービスエリア付近だ。この区間は、休日になると決まって渋滞が発生する。事故でもないのに自然渋滞が起きやすいのは、なだらかなアップダウンのせいだ。下り坂から上り坂に変わる地点を「サグ」と呼ぶ。知らないうちに上り坂になっていることに気づかず、車の速度が落ちてしまう。それが後続車にも次々と伝わり、渋滞になるというメカニズムだ。高速道路で最近よく見かける「速度低下に注意」という看板は、そのためにある。「アクセルを踏んで」くらいの表示すら見かける。スピードの出し過ぎも注意だが、出さなすぎるのも良くない。 アップダウンによる関越道の渋滞しやすい区間 高坂と花園の間には、「比企丘陵」と呼ばれるなだらかな丘陵地帯が広がっている。関東平野の西側に、山地から東へ突き出すように横たわる丘陵だ。1970年代に整備が進められた関越道は、平野部を走る中山道(現在の国道17号)沿いではなく、あえてこの丘陵地帯を通過するルートが選ばれた。埼玉県西部の発展を見込んだためだろうか。平野部よりも用地買収がしやすかったという事情もあったのかもしれない。いずれにしても、丘陵地を通る関越道は、地形の起伏によって渋滞が発生しやすい道路になった。もっとも、近年は車線を増やす対策も進められている。将来、速度を自動制御してくれる自動車がさらに普及すれば、こうした自然渋滞も少しずつ解消していくのかもしれない。 「嵐山小川(らんざんおがわ)」インターは、その渋滞ポイントの中間のど真ん中にある。だから、いつも混んでいる、というイメージしかない。それに高速道路から見渡すと、小高い山々しか見えず、いかにも何もなさそうに見える。しかし、だ。考えようによっては、ここを拠点にすれば、上りも下りも、渋滞をうまく避けることができるのではないか、と考えた。 仙元山から小川盆地を見渡す そこに、小川町という人口3万人ほどの町がある。関越道からはひと山越えたところにある盆地の町だ。まずは、高いところから町を眺めてみることにする。「仙元山見晴らしの丘公園」の展望台に登った。舗装路と駐車場が整備されていて、気軽に訪れることができる。また、ふもとから山頂に至る遊歩道も整備されている。かつては近寄りがたいやぶ山でしかなかったという仙元山だが、1993年にふるさと創生事業を活用して町民からのアイデアによって公園として整備された。全長約200メートルのローラー滑り台もあり、子どもたちのはしゃぐ声が森の中に響いている。いわゆるバブル時代の産物ではあるが、このような使い道を選んだ町民は賢明だったと思う。 仙元山はそんなに高い山ではない。ふもとからの標高差はせいぜい100メートルほどだ。それでも、展望台からは小川町を一望することができた。小高い山々に囲まれた小さな小川盆地に広がる街だ。駅と川に挟まれたあたりが中心地で、高い建物といえばマンションがいくつか見えるくらいだ。そして、中心地を迂回するようにバイパスが走り、ロードサイド店が並んでいる。街の全体像が手に取るように分かる。こういう街には、そんなに馴染みがなくても不思議と愛着が湧く。 展望台があると、街はどうなるか 私は、「展望台」が街にとってとても大事だと考えている。ひとつは、私が感じたのと同じように自分の街に愛着を持つ人が増えること。それと、上から眺めることによって、時には反省することもあるかもしれない。派手な看板は見苦しい、緑をもっと増やした方がいい、など感じるかもしれない。どう感じるかは人それぞれだ。しかし、展望台は、人間で言えば「鏡」のようなものだ。鏡に映った自分の姿を見て、人は身だしなみを意識する。そうやって、自分の生まれ育った街に誇りを持ち、大切にしたいと思う人が増えてくれるといい。 山でも展望タワーでもいい。全国的にも「いい街」と言われるところには、ほぼ必ずと言っていいほど展望台がある。有名なところでは、函館、長崎、神戸。そういう知られた観光名所でなくても、街の近くにある展望台が、市民の憩いの場所となっていることは多い。若い頃にデートで行った、などという思い出があったりする。あなたの街に、展望台はありますか?ただし、だからといって、身の丈に合わない豪華な展望タワーを安易に建設することを推奨しているわけではない。大切なのは、自分の街を眺められる場所があることだ。その意味で、自然の地形を生かした仙元山の見晴らし台くらいが、ちょうどいいと思った。 バブル期に造成された大規模住宅団地 山に囲まれた小川町だが、1980年代からバブル期にかけて、増加する人口を受け入れるために、山を削って大規模な住宅団地が開発されていった。そのひとつが、東小川団地だ。1981年、「小川パークヒル」として民間企業によって分譲が始まった。総区画数がおよそ1,500にもなる大規模なものだ。当時、人口3万5千人ほどの町にあって、団地の人口は1996年のピーク時には4,500人を超えた。しかし、その後、一気に増えた住民は、そのまま一斉に高齢化していった。現在の人口は3,000人ほどに減少し、高齢化率は50%に達している。 高齢化する住宅団地と廃校問題 高齢化の影響は、まず学校に現れる。団地造成から少し遅れた1992年に開校した上野台中学校は、生徒数の減少によって、2011年、わずか19年で閉校となった。その廃校跡に行ってみると、現在は校舎を活用して、「まちのキャンパスUECHU」として、コワーキングスペースやシェアキッチンなどに利用されている。よく見かける白っぽい長方形の、ただの校舎ではない。打ちっ放しコンクリートの外壁で、玄関を入ると吹き抜けのロビーが広がっている。将来を背負う子どもたちに未来を託そうという、当時の人々の気持ちが込められているように感じた。建設当時は、まさか19年後に廃校となるとは想像もしなかったことだろう。 中学校のかつてのグラウンドの一部には、現在、高齢者向けのグループホームとデイサービス施設「眞美の郷」が開業している。そして、すぐ道向かいには、大きな小学校の校舎とグラウンドも見えた。しかし、この東小川小学校も、2022年に別の小学校に統合され、39年の歴史に幕を閉じたばかりだ。小学校の方は、現在「東小川小学校スタジオ」として、映画やドラマのロケ地として頻繁に使われているという。 かつてのバブル期には、「池袋まで直通で1時間」という交通の便利さに加え、広くて安いマイホームが買えるという魅力に引かれて、若い世代がたくさん流れ込んだことだろう。しかしその後、東武東上線沿線では、小川町よりも都心に近いエリアの開発が進み、さらに都心ではタワーマンションなどが次々と建設され、「都心回帰」の流れが生まれた。そうした時代の変化の中で、若い世代の新たな流入が減ってしまった。これは小川町に限らず、首都圏周辺部の都市では珍しい話ではない。 山に囲まれた盆地の町が選んだ道 しかし、小川町ならではの問題もあるように感じる。町内にはホンダの大規模なエンジン工場や、医療機器のグローバル大手であるHOYAグループの製造拠点もある。雇用はしっかり生み出している。人口減少を、東京への通勤需要の変化だけが理由とは言い難い。ただ、町の北部を東西に走るバイパス(国道254号線)の便利さもあって、工場で働く人たちの住まいは、隣の東松山市や寄居町などに流れてしまっているのではないか。山に囲まれた小川町には、新たに住宅地を広げるにも限界がある。バブルの頃のように、また山を切り開いていくわけにもいかない。 だが、小川町の「都市計画図」を見てみると、別のことも分かった。町域の大部分が「市街化調整区域」に指定されているのだ。市街化調整区域とは、新たな住宅地などの開発を原則として認めない区域のことだ。一方、住宅地などの開発が許可される「市街化区域」は、駅周辺などの限られたエリアにとどまっている。ざっと見たところ、小川盆地の8割ほどが「開発禁止」区域になっていると言える。そして、そこには田んぼや畑、里山などの農村風景が広がっている。つまり、「土地がない」わけではない。少なくとも、無秩序に住宅地を広げるのではなく、農地や里山を残すという選択をしてきたことになる。 市街化調整の里山に残る古民家の日常風景 そんな市街化調整区域となっている里山のひとつに、「吉田家住宅」がある。享保6年(1721年)に建てられた、建築年代が判明している民家としては埼玉県内最古という貴重な建物だ。1989年には国の重要文化財に指定されている。しかし、実際に建物に入ろうとすると、まるでそば屋の入り口のような気楽さだった。入場料なども特になく、中に入ると、ちょっとした土産物コーナーがあり、座席では飲み食いしている人たちの姿があった。とても文化財とは思えなかった。 何人か忙しそうに動き回る女性の店員も、ざっくばらんな雰囲気だった。ぼんやり立っている私に、何を注文するのか、せっかちにせき立てた。 「ホットコーヒーなら、お湯を沸かすのに時間がかかるよ。それで、いいの?」 どうやらホットコーヒーは面倒なようだった。しかし、お湯を沸かすのに何分もかからないはずだ。私は引くこともなく、堂々とそれを注文した。そして、すぐに分かったのだが、目の前の囲炉裏で、鉄瓶を使ってお湯を沸かすのだった。別にわざわざそんな面倒なことをしなくてもと思った。私は早く珈琲が飲みたかった。すると、囲炉裏に腰掛けるひとりの紳士が口を開いた。 「火鉢で沸かすと全然違う。珈琲が柔らかくなる。それは、分子運動なんだ。電気ポットで表面だけ水を沸騰させたんじゃ、こうはならない。」 「そうですよね。やっぱり違いますよね。」 私はすぐさま、その紳士に同調する道を選んだ。紳士と囲炉裏を囲んで腰掛け、珈琲が淹れられるのをゆっくり待つことにした。仲の良い老夫婦で、二人で深谷からここには初めて来たと言う。隣には、別の老人が座っていて、紳士の語りをじっくり聞いていた。老人は地元の人だった。 「犬連れてちょっと寄っただけ。もう何十年も前からここに来てるよ。昔からここはこんな感じ。国に登録されてからは、ちょっと厳しくなったかな。」 外に出ると、入り口の前で可愛らしい子犬がつながれておとなしく主人を待っていた。平和な光景だ。私は、職業柄なのか、すぐに法律や都市計画のことなどに目が行くが、そんな制度やらは、何百年と続いてきたこの地域での営みの前では、ちっぽけなことなのかもしれない。 歴史ある木造小学校の廃校跡に集まる人々 小川町ではもうひとつ、文化財ではないが、古い木造の小学校の校舎を見られる場所がある。「旧小川小学校下里分校」だ。1874(明治7)年に開校し、およそ140年にわたって地域の子どもたちが通った学校で、少子化にともなって2011年に閉校したものだ。行ってみると、絵に描いたような里山のロケーションに心が揺さぶられた。校庭のすぐ先には槻川(つきがわ)の清流があり、フライフィッシングを楽しむ人たちもいた。赤い屋根のレトロな平屋の校舎が、また絵になる。映画やアニメのロケにもよく使われるのが分かる。そんなのどかな農村風景の中にありながら、なぜか人がたくさんいた。 「あんたも踊るかい?」 突然声をかけられて驚いてしまった。そこには高齢のご婦人たちがずらりと並び、スタンバイしているところだった。今日はたまたまイベントの日だったのだ。キッチンカーも出ていて、子どもたちも走り回っていた。校舎の見学会や謎解きイベントなども行われていて、普段は立ち入れない校舎内を自由に見ることができた。運営側の若い女性からも声をかけられた。 「これまでは春の桜祭りだけだったのですが、今年から秋祭りもやってみようと。それが今日でした。ちょうど来られて、運がよかったですね。私、NPOに入ったばかりで、まだ何も分かりませんが、よろしくお願いします。」 そうやって、その女性が引率するツアーガイドについていった。後から知ったが、このような「まちゼミ」を町内で頻繁に開催しているようだ。これなら、見聞録を書くネタにちょうどいい。NPOの理事の人だという方の解説に、正式な参加者から少し離れた場所で、じっと耳を傾けていた。 昔から受け継いできた校舎と里山を維持していく思い その理事は、小さい頃にまさしくこの学校で学んだ地元の人だった。その後閉校となり、町の中心部の学校に移った子どもが、「田舎者」扱いされた話もされた。中心部にはマンション住まいの子供も多かった。それで、下里生まれに引け目を感じていた時期もあったが、今はこうやって下里に根を下ろし、いろんな活動をしているという。背後に見える里山を指して、問いかけた。 「あの山を見て、どう感じますか。緑が豊かだと思いますか。あのように見えても、実は荒れているのです。中に立ち入れない状態です。そうやってずっと手入れができないままなのです。里山の再生もしていかなければならない。人口減少の時代で、どこもそうですが、このままでは地域が歯抜けみたいになる。何かやらなければ、と思う人がやっていくしかない。」 通りすがりの者のようなフリをしていた私も、そこでは大きくうなづくしかなかった。廃校の維持運営にも費用がかかる。現在は、カフェからの定期的な賃料収入と、撮影などによる臨時収入に頼っている。イベントを行えば、県から多少の補助が出るらしいが、それ以外では公的な援助は受けられていない。隣接する「霜里農場」との連携で、有機農園事業も行っている。しかし、すでに幅広く活動しているがゆえに、肝心の地元にまで十分に手が回っていない事情もあるそうだ。 「霜里農場」が起こした日本の有機農業の先駆的取り組み そういえば、学校の隣に見える、煙突を立てた大きな山小屋のような建物が気になっていた。それが「霜里農場」だった。「日本の有機農業のパイオニア」と言われる金子美登氏が、1971年に有機農業を始めた場所だ。日本が高度経済成長の真っただ中にあり、化学肥料や農薬を使った農業の効率化が進む時代に、その流れとは真逆のことを、この小川町下里地区で始めたのだ。牛を飼い、その糞尿を堆肥にして土を育て、家庭から出る生ごみや米ぬかなども肥料として活用した。 農場内で資源を循環させる農業を実践し、やがてその取り組みを地域一帯に広げていった。2010年には、こうした有機農業を通じた地域づくりが評価され、下里地区の取り組みが農林水産祭のむらづくり部門で天皇杯を受賞した。小川町でも、有機農業を推進するための取り組みが進められ、町ぐるみでその普及を図ってきた。さらに2023年には「オーガニックビレッジ宣言」を行っている。安全で安心な農産物を次の世代に引き継ぎ、農業を通じて地域の環境や暮らしを守っていく。その考え方が、町の大きな方向性のひとつになっている。 旧下里分校内にある「分校カフェ MOZART」に入ってみた。客席は、小学校の教室で使う机とイスだ。そこで有機野菜を使った料理を食べられる。私は、ランチタイムで真っ先に入れたが、すぐに満席で行列ができていた。もちろん美味しかったが、正直、はるばるこの料理を食べるだけの目的で来るほどではないだろう。これは、ロケーションと一体となって醸し出される価値だと思う。私はあえて、コッペパンのたまごサンドを選んだ。そのほうが、小学生に戻ったような気分になれる。 伝統産業で繁栄した歴史的な街並み ちょっと回り道をしてしまったが、小川町といえば「武蔵の小京都」と呼ばれるほど、伝統産業が盛んで、その商業の中心地として栄えた町だ。当時の名残を感じさせる、趣ある蔵や旅館、商家などの建物を見ることができる。ただし、川越や栃木のように、重要伝統的建造物群保存地区に選定されるほどの連続した町並みとしては残されていない。それでも、昭和以降に建てられたようなレトロな商店が並ぶ様子もセットで見れば、全体としてなかなか雰囲気があると思う。 家いちば見聞録【栃木編】 https://ieichiba.com/kenbunroku/686%E6%A0%83%E6%9C%A8 小川盆地特有の良質な水と地形からの恩恵 小川町を繁栄させたのは、和紙と織物だった。町の真ん中を東西に流れる槻川の清らかな水から、大きな恩恵を受けて発展した伝統産業だ。小川盆地一帯は良質な水に恵まれた土地で、その水を活かした酒造りも今なお盛んだ。さらに、冬の厳しい寒さも和紙づくりには適していたという。一方で、周囲を山に囲まれているため、北関東の冬の強い北風「赤城おろし」の影響は受けにくく、比較的穏やかな気候でもあるようだ。こうした自然条件は、農業にも恵みをもたらしてきたのだろう。 豪勢な造りの由緒ある旅館でかつての賑わいを感じる そんな街中を歩いていると、細く入り組んだ路地も多い。古くから栄えてきた街並みならではのものだ。小川町の中心部を横断する「旧秩父往還」(現在の国道254号線)沿いに、ひときわ目立つ建物がある。「旧萬屋(よろずや)旅館」だ。幕末創業の由緒ある商人宿で、現在の建物は大正時代に建てられたもの。しかし、1999年には惜しまれつつ廃業となってしまった。それ以来、解体されることなく現在まで残されている。一般公開はされておらず、案内の看板も出ていない。 私もここには10年ほど前に一度来たことがあったのだ。知り合いの建築家に誘われて、一緒に内部の実測調査をした。だから、内部の様子もよく知っている。たいそう豪勢な造りだったことを覚えている。かつてこの地が商都として栄えていた往時を偲ばせるものだ。その時に、この建物の維持保存や利活用の難しさなども聞かされた。私自身もまだ、家いちばサイトを始めたばかりで、試行錯誤の時期だった。見たところ、10年前と変わらず、きれいな状態を保っているようで、少しほっとした。 昔から槻川の清流と共に暮らしてきた町 ふと街並みが途切れたところで、槻川の大きな流れに出る。川の水門からは、街中へと水路が引かれている。川と街がひとつとなって栄えてきた名残だ。相生橋を渡ったところに、大きな公園がある。「栃本親水公園」だ。この公園は、江戸時代に周辺の水田へ農業用水を引き込むために造られた「栃本堰」の一帯を整備し、2015年に一般開放されたものだ。300年の歴史を持つ栃本堰は、その後、周辺住民の生活用水としても利用され、小川町の発展になくてはならない存在だった。水門や護岸は、度重なる水害を受けながら何度も改修され、現在も昔ながらの風情を残している。 護岸の上から階段で水際まで下りて、散策できるようになっている。魚を網ですくって遊んでいる親子がいた。川面をのぞいてみると、小魚がたくさん泳いでいた。街中にある川とは思えない光景だ。堰からは滝のような水流が落ち、そこに公園の大木が陰を落として、とても涼しげだ。まるで渓谷沿いで森林浴をしているような気分になる。私は、高台にあるあずまやの休憩所で腰を下ろし、ずっと川の流れを見つめ、水音に耳を傾けていた。 先入観を捨てて小川町のことを見る 宝島社が発行する月刊誌『田舎暮らしの本』が毎年発表している「住みたい田舎ランキング」で、小川町は首都圏エリアの上位にランクインする常連となっている。しかし、このランキングは自治体へのアンケート結果をもとに集計されたもので、移住希望者の志向を直接反映したものではない。それでも、こうしたランキングをきっかけに町のことを知る人が増え、結果として移住者が増えることはあるだろう。それが小川町のブランドイメージにもつながっていく。 私は、そういう先入観を一切排除して、自分の目と心でその町を見るようにしている。結論として、私は小川町に一票投じたいと思ってしまった。それくらい、街中でも農村でも、美しい清流とともに暮らしを育み、その風景を大切にしてきた小川町の歴史と今の姿が好きになった。 養蚕の伝習所だった古民家をレストランとして今に残す 栃本堰から続く河原道を歩いていると、住宅街の中でひときわ大きな古民家を見つけた。看板を見ると、レストランのようだった。調べてみると、この「玉成舎」は、明治時代に養蚕技術伝習所として建てられたもので、小川町の産業発展に大きく貢献した建物だった。その後、戦前にこの場所へ移築され、昭和55年以降は民家として使用されていた。ところが、2016年に老朽化によって取り壊しの危機に直面。それを家主の英断と地元の人たちの協力によってリノベーションし、現在の姿に再生されたという。まさしく、こういう話が好きなのだ。 中に入ってみても、立派な作りと、当時の古き良さをそのまま生かしたインテリアがとてもいい。それでいて、照明などはしっかりモダンなものになっている。そこで、パスタを注文して食べる。もちろん美味しいのだが、下里分校カフェと同じ話だ。そして、いいお店を見つけると、誰かに教えたくなる。写真を撮って、SNSにアップする。 おそらく、そんな私の行動を見ていたのだろう。玄関で靴を履いて帰ろうとする私を、女将が呼び止めた。 「2階もご覧になりますか。」 実は気になっていた。私の気持ちを察しているかのようだった。古民家らしい狭くて急な階段を上ると、また別の世界が広がっていた。カウンター式の小料理屋でバーのような雰囲気だった。和食とお酒がうまいらしい。ここで小川町の水で作った地酒を飲んでみたい。予約で2週間先まで満席とのことだ。 「今度は泊まりでゆっくり来てください。」 明治から大正にかけて、萬屋旅館が、出入りする多くの商人たちで賑わっていた時代は、こういう気の利いた女将があちこちにいたのだろう。しかし、時代を超えて、新しい形で別の賑わいを見せてくれるのかもしれない。もちろん、また来ます。

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    「仙元山見晴らしの丘公園」の展望台

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    展望台から小川盆地を眺める

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    東小川団地「小川パークヒル」の閑静な住宅街

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    旧上野台中学校(まちのキャンパスUECHU)の正門

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    旧東小川小学校もすでに廃校に

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    小川町都市計画図…色が塗られた市街化区域はごくわずか(出所:小川町ウェブサイト)

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    埼玉県内最古と言われる吉田家住宅(国の重要文化財)

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    吉田家住宅内部の囲炉裏

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    吉田家住宅内の飲食スペースは賑やか

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    旧小川小学校 下里分校

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    小学校の目の前はすぐ槻川

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    校庭にはキッチンカーも出ていた

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    懐かしい教室と廊下の風景

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    ちょうど秋祭りのイベントの展示が行われていた

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    小学校でのツアーガイドのようす

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    槻川と里山

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    槻川の清流と釣り人

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    下里地区の農場

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    「分校カフェ MOZART」での食事

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    下里ののどかな里山風景

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    「武蔵の小京都」と呼ばれる小川町の市街地

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    大きな蔵などが数多く見られる

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    レトロな雰囲気の商店街

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    長屋造りの古い建物

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    晴雲酒造

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    旧萬屋旅館

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    栃本親水公園

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    栃本堰の水辺の遊歩道

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    栃本堰から市内に引き込まれている水路

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    槻川に寄り添うような街並み

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    栃本親水公園のあずまや(休憩所)

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    養蚕技術伝習所だった「玉成舎」の建物内はレストランに

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    玉成舎の中の「有機野菜食堂わらしべ」の客席

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