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家いちば見聞録

世界屈指の雪国“十日町”が作る里山の美しさの秘密

新潟県十日町市|棚田とトリエンナーレに見る、雪国の風景の成り立ち 十日町は日本の、いや世界有数の豪雪地として有名だ。大陸からの湿った風が山脈にぶつかって大雪を降らせる、という仕組みは、昔学校の授業で習った。雪国の暮らしは不便そのものだ。九州に生まれ育った私からすると、どうしてあえてそんな不便な場所に住むのか、不思議でしょうがなかった。しかし、その疑問は、すべてひっくり返ることになる。 雪解けの季節の美しさ 季節はちょうど、桜が散りかけの頃。路肩や山肌にはまだ残雪がところどころに残り、遠くにそびえる山脈の雪渓が美しい。その雪解け水が流れ込む川は、轟々と音を立てて流れている。まるで大雨でも降ったかのような水量だが、空は春の穏やかな晴天で、川の水はどこまでも澄んでいる。 山々を覆う新緑も美しい。どこか、普段見かける森とは違う。そして、この地域独特の建物の造りがある。玄関部分が雪で埋もれてしまわないように、基礎がかさ上げされている。屋根も雪下ろしを前提とした、見るからに頑丈そうなものだ。そのためか、昔の造りのまま残っている建物も多い。むしろ、都会でよく見かけるプレハブ住宅のようなものでは、この地域の気候には耐えられないのかもしれない。そうした家並みと田園風景が、見事なコントラストをつくっている。 豪雪地帯の風景と葛藤 予約した宿は、十日町の松之山地区にある。市域の中でも最も長野県境に近く、山岳に近い場所だ。それゆえ積雪も多く、多い年には5メートルを超えるという。しかし、訪れた時にはちょうど残雪もわずかで、背丈を超えるような大雪は、にわかには想像がつかなかった。 しかしよく見ると、河原やあぜ道の雑草が、ぺちゃんこに押しつぶされているのが分かる。雪の重みでそうなったのだ。たいていこのような空き地の雑草は、生い茂るまま手がつけられず、見苦しいものになりがちだが、雪国ではそれが一度リセットされる。干からびた雑草の合間から、新芽が一斉に吹き出している。これが雪国の春というものだ。 自然による、新陳代謝である。 この私の大発見を、宿の女将に自慢げに聞かせてやった。すると女将は、雪について語ることがあるとばかりに、長い話を始めた。私は、聞く側に回った。 要約すると、こうだ。 「今年は少し雪が少なかったかしら。それでも4メートルくらいはあったわ。雪を降ろさないと家がつぶされちゃうの。近所には、つぶされちゃった空き家もあったわね。雪を降ろす場所の確保も大変よ。道路の雪を掻く重機のオペレーターも大変。雪の降る前の晩は泊まり込みしなきゃ。だって、オペレーターがやってくるための道路の除雪を誰がやるの?」 私はそこで手を叩いて笑って見せたが、内心では、当初の疑問が再び湧き上がってきた。どうして、そこまでしてここに住むのか。しかし、その苦労話をしている女将は、どこか楽しげにも見えた。厄介だけれど、ほっておけない。そういうものが、人にはあるのかもしれない。 日本最大の棚田の里 この地域でもうひとつ有名なのが、「棚田」である。農林水産省による最新の認定でも、その数は国内トップだという。その中でも有名な「星峠」の棚田を見に行った。丘陵地の上から眺めると、棚田の光景が延々と続き、その背後には雪渓を抱いた山々が見下ろしている。あぜ道を歩いてみると、水路を流れる水の音が心地よい。あたりは、蛙とうぐいすの鳴き声だけが響く静けさだ。 棚田のメカニズム だが、その水路が巧みに設計されていることに気づかされる。棚田の最上部にはため池があり、そこには雪解け水が集まる。そしてその水が、上から下へと順番に流れ落ち、ひとつひとつの棚を潤していく。重力を活かしているから、ポンプなどは必要ない。昔から、この地の人は賢く、器用だった。 しかし、この棚田がここまでの姿になるまでには、相当の苦労があったはずだ。まず、この地域は地すべりに悩まされてきた。地質が脆く、さらに雪解け水が地下に浸透することで、構造的に地すべりが起こりやすい。だがその一方で、この条件こそが稲作には適している。豊富な水が、春先の田畑を潤すからだ。 そこで棚田が、その両方に対する解決策となっている。急な増水を緩やかに受け止め、流れを分散させることで、地すべりの防止にもつながっている。試算によると、この地域の棚田は年間800億円分もの土砂災害を防いでいるという。確かに、棚田は大型機械による耕作には向いておらず、効率という点では不利かもしれない。しかしここでは、その非効率さが、むしろ土地を守る仕組みとして機能している。 そう考えると、この風景は単なる景観ではなく、人と自然が長い時間をかけてつくり上げた装置のようにも思えてくる。 森の学校で自然を学ぶ 私のこうした知識の多くは、「森の学校」キョロロという愛称の自然博物館で仕入れたものだ。建物自体も芸術作品のようで、展望台もある。ここを訪れると、この地域の自然の仕組みがよく分かる。 ブナの森を残してきた人々 隣には「美人林」と呼ばれるブナの森がある。ここに行けば美人になるというわけではない。かつて大正時代、木炭用として伐採され、一度はげ山になった場所だが、その後、新芽のブナが一斉に成長し、すらっとした幹が立ち並ぶ独特の風景が生まれた。その姿が、美人の立ち姿のように見えたことが名前の由来だという。昭和に入って再び伐採の話が持ち上がったが、当時の所有者はそれを断った。この森を後世に残すべきだと判断したのだ。自然の力と人の意思。その両方を、この場所で感じることができる。 “美人”なだけではないブナの魅力 なお、ブナは通常は標高1,000メートル前後よりも高い地域にしか育たない植物だ。しかし、この地域では標高200メートルでもブナ林が見られる。それは、たいていの植物が大雪によってつぶされてしまうのに対して、ブナはそれに負けず生育する力を持っているため、雪国ではブナが「優位」となってブナ林ができやすいのだ。厳しい雪国の生存競争に生き残ったブナは、美人と言ってもしなやかな力強さを兼ね備えた美人である。 ブナの木が並んでいると、まるで高原に来たかのような爽快な気分になるのは、そういう無意識の視覚効果があったのだろう。しかも、ブナ林と田園風景がセットになることも、普通は起こらないことで、これがこの地域ならでは景観を生み出している。 「芸術祭」の出発点 道路に掲げられているキョロロの案内板を見ると、「妻有アートネックレス」と書かれている。妻有(つまり)とは、十日町市と隣の津南町を含めた広い地域のことを指す。アートネックレスとは、今日この地域を世界的に知らしめることになった、越後妻有トリエンナーレという芸術祭の出発点となる構想の名前だ。 こんな山あいの地域で芸術祭とは、一体どういうことなのだろうか。 広域連携プロジェクトで地域を活性化させる その背景には、バブル崩壊後の1990年代という時代がある。人口減少と高齢化による地域の衰退が、現実のものとして突きつけられ始めた時期だ。新潟県は「ニューにいがた里創プラン」と呼ばれる広域連携のプロジェクトを立ち上げ、10年で100億円という大規模な予算を投じた。その第1号として、この妻有地域にアートネックレス構想が持ち込まれた。 ハコモノ行政の反省 いわばこれは、県による補助金制度のもとで、従来のハコモノ行政への反省から、ハードではなくソフトに投資しようという試みでもあった。しかし、その一方で、このキョロロはそうした資金によって建設された施設でもある。当時、十日町市と合併する前の松之山町は人口3千人ほどにすぎず、この規模でこれほどの施設を持つことは、本来であれば容易ではなかったはずだ。学びの場としての内容は非常に充実している。だが同時に、その運営や維持には、相応の負担が伴うことも想像に難くない。ハコモノには、常にそうした側面がつきまとう。 十日町の中心部に行くと、立派な現代美術館がある。これも、アートネックレス構想の一環として建てられた施設で、芸術祭の時にはゲートの役割を果たす。設計は、建築家・原広司によるもので、総工費は45億円にのぼる。人口5万人ほどの街にとっては、年間予算の2割にも相当する規模だという。県からの補助もあるが、その構図はキョロロと重なる。 世界的なイベントとなった越後妻有トリエンナーレ それでも、妻有のトリエンナーレは地域振興の成功事例として語られることが多い。その特徴は、ひとつの建物ではなく、広大な地域そのものを美術館として捉えている点にある。田園風景や廃校、空き家といった、この土地に元からあるものが、そのまま作品の舞台となる。この規模は世界的にも珍しく、国内外のアーティストが参加する理由もそこにあるのだろう。2000年に始まったこの取り組みは、その後、各地の地域型芸術祭へと波及していった。 苦労の上での成功事例 しかし、こうした試みが最初から受け入れられたわけではない。構想段階では大規模な反対も起こり、それに中心となって対応したのが、アートディレクターの北川フラム氏だった。彼は数百に及ぶ集落を一つひとつ回り、説明を重ねていったという。 そして、実際に始まってみると、若者や外国人が多く訪れ、町は次第に知られるようになっていった。全国からボランティアとして集まる若者と、地元の高齢者とのあいだに交流も生まれ、それは市民にとって、何ものにも代えがたい体験となったのだろう。このトリエンナーレは、その後3年ごとに開催され、2024年で第9回を数えるまでになった。来訪者数は50万人、経済効果は80億円とも言われている。 十日町市街地の独特な様子 さて、その十日町の市街地を歩いてみると、印象的なのは、歩道に屋根のかかったアーケード通りが3つもあることだ。それぞれに店が並び、営業している店舗も多い。地方都市ではシャッター街となっている商店街も少なくないが、ここは様子が違う。 商店街から入った路地裏にも、飲食店などがぽつぽつと点在している。人口5万人規模の都市としては、商店の数が多いように感じられる。駅から数キロの場所には大型のイオンモールもあるが、対立するというよりは、共存しているように見える。 一方で、いわゆる百貨店のような大型商業施設は少ない。その代わりに目につくのが、大型のスーパーマーケットだ。通常であれば郊外のロードサイドに立地するような、大きな駐車場を備えた店舗が、駅から歩ける範囲にいくつも存在している。 歩いて暮らせる古い街並み そしてもうひとつ、街を歩いていて気づくのが、コインパーキングがほとんど見当たらないことだ。よく考えてみると、大雪の中では無人の青空駐車場は機能しにくい。フラップや遮断機も雪に埋もれてしまうだろう。実際に見かけるのは、市営の大規模駐車場や、ビル型の立体駐車場が中心である。駅前には無料の市営駐車場もある。 こうした条件のもとでは、空き地をコインパーキングとして活用することが難しい。その結果、都市にありがちな、建物が取り壊されて細切れの駐車場に変わっていく現象も起きにくい。更地にしても使い道が限られるのであれば、建物はそのまま残される。 そう考えると、この街に古い建物が比較的多く残り、歩いて暮らせる構造が維持されているのは、偶然ではないのかもしれない。 与えられたものを大事に活かしていく 十日町の人は、昔から雪と共存してきた。そして、さまざまな工夫を重ねてきた。そうやって苦労し、考え出すことそのものを楽しんでいるかのようにも見える。その苦労の裏には、自然への感謝の思いがある。それが、与えられたものを大事にし、活かしていこうという発想につながっている。 棚田、ブナ林、芸術祭、そしてまちづくり。 それらはすべて、雪とともに生きてきた時間の積み重ねなのだろう。ひょっとすると、これからも苦労が絶えないのかもしれない。それでも私は、その苦労に参加してみたいと思った。 そこに、生きている実感があるからだ。

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    雪解け水が勢いよく流れる川

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    雪でつぶされた雑草の合間から芽を吹く新緑

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    ブナの森「美人林」

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    「森の学校」キョロロ

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    キョロロの展望台

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    トリエンナーレの作品の案内板が各所にある

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    「中里かかしの庭」アート作品が田園風景の中に

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    「日本に向けて北を定めよ」

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    「花咲ける妻有」

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    まつだい雪国農耕文化村センター「農舞台」の中にある里山食堂

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    十日町市街のアーケード

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    旧分庁舎を改修した施設「分じろう」の古着ショップ

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    中心市街地とスーパーマーケットが共存

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    越後妻有文化ホール「段十ろう」も駅から歩ける場所に

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    越後妻有 里山現代美術館 MonET

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    現代美術館内の作品

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