外房エリアの代表都市“茂原”はどこへ向かうのか
千葉県茂原市|時代の流れに翻弄されてきた中心市街地 家いちばの人気エリアに「房総」がある。千葉県の大部分を占める房総半島は、砂浜や断崖絶壁など多様な表情を見せる海岸線に囲まれ、一方で内陸部にはのどかな田園風景が広がる。比較的なだらかな地形で、都心からの距離も近いことから、バブル期以降はゴルフ場の開発が進み、それに伴って高速道路の整備も進んだ。 都心から近い田舎として人気な房総 1997年に東京湾アクアラインが開通すると、都心からのアクセスはさらに向上したが、それでもこの地域が持つ「のどかさ」は失われていない。今もなお、「都心から近い田舎」として多くの人を惹きつけている。 実は、家いちばの記念すべき第1号物件、つまり最初に売れた物件は、この房総のど真ん中、茂原市の土地だった。正直に言えば、何の変哲もない小さな宅地だったが、0円で売りに出されたこともあり、100件を超える問い合わせが殺到した。これが、私が房総の持つ力を実感した最初の出来事だった。 茂原の隣町、白子町の物件を見に行く 先日、とある家いちばの買主さんがユニークな活動をされていることを知り、房総・白子町にあるその物件の現地を訪ねた。 白子町は茂原市の隣町で、九十九里浜という日本一長い砂浜海岸に面しており、そのイメージが強いが、内陸には広大な平野が広がり、昔ながらの農村風景が今も色濃く残っている。さらに、海へとつながる広い空があり、独特の解放感がある。これに魅了される人は多い。 素人の域を超えたDIY その買主さんは、偶然手に入れた空き家をきっかけに、ご夫婦で残置物の片付けやDIY、竹林の伐採などをするため、自宅のある川崎市から通い続けていた。そうした活動を続けるうちに、地元の人から声がかかるようになり、隣り合わせにあった空き家を、2軒目、3軒目と次々に譲り受けることになった。しかも、いずれもタダ同然だったという。これ以上価値が下がることはない。だからこそ、時間をかけてじっくり料理していくこと自体が、楽しみになっている。 そしてすでに、この買主さんのDIYは、素人の域を越えつつある。外壁塗装、屋根の塗り替え、軒天の貼り替えなども、ホームセンターで機材や材料を揃えながら、自らの手で仕上げている。 しかも、その仕上がりや工程は、プロの私が見ても感心するほどだ。なお、前職はコンサルタントだったという。 ——まったく別の世界ではないか。 聞くところによると、 「きれいになっていくのが、とにかく楽しい」 ということらしい。己の道を見つけた人は、強い。天井からハクビシンの糞が大量に出てくるといったハプニングもあったようだが、そうした過程すら動画に収め、YouTubeにアップして楽しんでいる。 ユニークな活動に多くの人が集まる その日は、ほかにも見学者が大勢訪れていた。房総に拠点を持つ投資勉強会の主催者がこの活動に興味を持ち、ツアーイベントが企画され、全国から参加者が集まったという。中には奈良や長崎から来た人もいた。買主さんはその前で説明を行い、まるで講師のようだった。しかし、DIYの世界には先生も生徒もない。先に実践した者が、後から続く者の道しるべになる。 都心と房総との二拠点生活 このご夫婦は、すでに近くにアパートも借り、川崎と房総との二拠点生活を始めていた。奥さんに、普段の買い物はどうしているのかと尋ねると、 「東金のロードサイドが最強です」 という答えが返ってきた。 ——おや、と思った。 隣には茂原という、この地域の中心都市がある。それを素通りして東金まで行くとは、どういうことだろうか。 駅前の商店街はどこへ行ってしまったか 茂原市の中心であるJR茂原駅に行ってみると、駅前ロータリーの一等地には巨大な立体駐車場があり、料金は30分100円と格安だ。そのすぐ近くにも広大な平面駐車場がいくつもあり、24時間停めても400円ほど。しかも、それらが満車状態になっている。茂原駅から東京駅までは、外房線でおよそ1時間半。首都圏の通勤圏に入る距離だ。ただ、この日は土曜日だった。通勤利用とは考えにくい。 ——では、この車の人たちは、どこに向かっているのだろうか。 買い物客だろうか。しかし、駅前は閑散としていた。違和感を覚えながら、駅周辺を歩き回ってみる。ところが、いわゆる駅前の商店街のような連なりが見当たらない。確かに、居酒屋や洋装店、和菓子店などは点在している。しかし、それらが連続して並んでいないのだ。 目につくのは、やはり駐車場ばかりである。ただ、よく見ると街灯が立っている。商店街でよく見かけるような、凝ったデザインの街灯だ。ここは、かつて賑やかな通りだったのかもしれない。その名残が、いまもかろうじて残っている。しかし、それも消えつつあるように見えた。 駅前にそびえる再開発ビルの惨状 この光景自体は、全国各地で見かけるものだ。車社会の進展によって、従来の市街地が衰退し、いわゆるシャッター通りとなる。しかし茂原の場合は、そのシャッター街すらすでに姿を消し、あちこちが空き地となっていた。 駅に隣接して建つ駅ビルの大きさが、周辺の街のさびれた様子と対照的だった。人の気配が薄れたこの場所に、これほどの規模の商業施設が必要だったのだろうか。案の定、この駅ビルも、1階の一部を除いて空きテナントが目立ち、入口の多くは封鎖された状態になっている。立派な建物だけが残り、中身は周辺の商店街と変わらない。 調べてみると、この再開発ビル「サンヴェルプラザ」は、バブル期に計画され、茂原そごう店を核としてオープンした。しかし、そのわずか8年後にそごうが撤退し、ビルの大部分が空室となる。その後、図書館などの市の施設が入ることで空間を埋めようとするものの、所有者も二転三転し、現在に至っている。 バブル崩壊、郊外化、百貨店の衰退――。 そうした時代の流れに翻弄され続けてきた建物と言えるだろう。そして、その大きな波は、周辺の商店街の衰退も加速させたように見える。 茂原を襲った水害の歴史 こうした流れ自体は、全国的にも珍しいものではない。しかし、茂原にはもう一つ、気になる要因がある。水害である。 この地域では、集中豪雨や台風のたびに、市の中心部を流れる一宮川が氾濫し、繰り返し浸水被害が発生してきた。房総半島特有のなだらかな地形や、長い砂浜の海岸線の影響もあって、降雨時には河川への流入が集中しやすく、さらに河口付近からの逆流も起こりやすい。そうした条件が重なることで、被害が拡大してきたのではないだろうか。 一般的な河川であれば、上流にダムを設けることで流量を調整することができる。しかし、一宮川は山岳地帯を流れる河川ではなく、上流にダムを設けることが難しい。そのため、洪水対策としては、河川幅の拡張や調整池の整備といった方法に頼らざるを得ない。ところが、すでに平野部は農地や宅地として利用されており、そうした用地の確保は容易ではない。こうした条件が、結果として治水事業の進展を難しくしてきた側面もあるのではないだろうか。 浸水リスクが都市開発にブレーキをかけたのか 現在では、千葉県が中心となって河川整備が進められている。しかし、1980年代以降の約30年間で、大規模な洪水が3度も発生している。こうした出来事が、生産拠点を置いていた企業の撤退判断に影響していた可能性は否定できないし、新たに移り住もうとする世帯にとっても、不安要因となっていたのではないだろうか。 また、浸水リスクのある地域では、新たな開発投資も行いにくくなる。その結果として、既存の不動産価値の下落にもつながっていった可能性がある。どれだけの経済的損失があったのかは分からない。しかし、この一連の流れを見ていると、治水というものの重みを、あらためて考えさせられる。 茂原が地方都市のあり方を示していく 私は、茂原の駅前が、このまま消えていく街だとは思っていない。すでにロードサイド型の商業も、転換期を迎えつつある。また、人々が「歩ける街」を志向する流れも見え始めている。そうした変化を踏まえれば、まずは治水事業を着実に進め、浸水エリアのイメージを少しずつ払拭していくことが重要になるだろう。そのうえで、新しい時代に合った街のかたちを模索していくことができれば、茂原はむしろ、これからの地方都市のあり方を示す先進的な事例になり得るのかもしれない。 【執筆者プロフィール】 藤木哲也(家いちば代表) 建築・不動産・金融の実務を経て独立。空き家の個人間売買サービス「家いちば」を運営し、古い建物を活かす新しい流通の形を提案している。MBA(経営学修士)、一級建築士、宅地建物取引士。著書に『空き家幸福論』(日経BP)
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